今年も二ヶ領用水の桜が綺麗に咲いています。
なんだかんだ、毎年見ているような。
ところで、二ヶ領用水の名は、旧稲毛領と川崎領の二ヶ領の農地に水を引くために江戸時代初めに建設された人工用水です。
用水は慶長14年(1611)に代官小泉次太夫によって完成しました。
それまで、この二ヶ領は水利事情が不便で、水田工作による農業生産基盤が脆弱でした。
二ヶ領用水完成により、米の収穫量が飛躍的に伸びたと伝えられています。
百年後、欠損、荒廃が進んだ状況になりましたが、享保9(1724)年、本格的改修工事を経て現在にいたっています。
明治以降は、横浜水道の開設(明治6年)などにより、飲料水、工業用水としても利用されました。
また、生活用水としても、近年まで利用されていました。
中野島から取り入れられた水は、紺屋前の堰に至り、ここから新田堀、高田堀、水車堀、東堀、鮒堀などに分かれて、登戸一帯の耕地を潤しました。
堰の名として残る「紺屋」も用水を利用した藍染め屋が近くにあったことに由来しています。
現在も、市北部では農業用水として、あるいは、環境用水として利用されています。